このコラムは、中年男子の口なし芳一が、成仏されていないキモチを対話形式で聴く「インスタントじょうぶつ」のお相手に、対話後に贈る手紙である。じょうぶつ話を聴いて感じたことを綴ったものだ。時間の経過とともに、あの時話してくれた想いがじょうぶつされることを心から願っている。
生きる目的って、何なんでしょう?
私は40代バツイチの女性です。一人暮らしで、仕事も今の会社でひとり食べていくには不自由ありません。バツイチ同士の気軽な関係の彼もいます。ただ、人生の目標や生きがいみたいなものがなく、この先、10年、20年先の自分の姿が容易に想像できてしまいます。ただ老いて、死を待つだけの人生。それならば50歳くらいで安楽死を選びたいなと最近は思うのです。生きる目的って、いったい何なんでしょうね。
Aさんへ
Aさん、お話を聴かせていただいてありがとうございました。Aさんの落ち着いた雰囲気にこちらも安心することができました。僕には姉が二人いるんですけど、姉と話しているような感覚もあって居心地のいい時間でした。
目的はなく、死ぬまで生きることが人生
僕もあれから「生きる目的」について考えてみたんですよ。こんな壮大なテーマを考えることってそうないですから、とてもいい機会になりました。
生きる目的、人生の目的…。僕もAさんと同じで、この問いにはっきりとした答えを用意せずに生きてきたようです。何のために生きているのか、考えれば考えるほど答えから遠ざかるような問いですよね。
「生きる目的って何ですかね?」
僕の考えた答えは、死ぬまで生きることです。身も蓋もないような答えですけど、結構まじめです。
僕には妻がいたんですよ。もう亡くなってしまったんですけど、急な病気でした。彼女の手帳のカレンダーには、亡くなったときの翌月までぎっしりと予定が書き込まれていました。亡くなった日も、その翌日の予定も。今でもそれを見ると思うんです。彼女は死ぬまで生きたんだなと。死ぬ寸前まで普段通り、一生懸命に生きてました。
僕も彼女のように「死ぬまで普段通りに生きる」ことが人生の目的です。人はいつ亡くなるかわからないですからね。
だから僕のこれからの人生は、半分おまけの感覚で生きてます。何をしてもいいし、何だってやってやろうという気分です。見えない何かに遠慮して、世間の常識から逸脱せず大人しく生きていくのはやめようと思っています。
人が死ぬ前に後悔することは、失敗したことよりも「やらなかったこと」が、ほとんどらしいですよ。
僕は小さな「やりたいこと」を一つずつやっていくことを人生の楽しみに設定しました。死ぬ前に、いろんなことにチャレンジしたなと笑顔で走馬灯を眺めたいです。
Aさんの「人生の目的」に答えが出たとき、また教えてくださいね。
「生きる目的って、何なんでしょう?」への 2 件のコメント
質問者Aさんの「50くらいで安楽死」にとても共感出来ました。
じようぶつ師さんの答え「死ぬ日まで生きる」そう思えるくらい自由で柔軟に、いつかなりたいと感じました。
しんじさん
コメントありがとうございます。
私のまわりでも安楽死を希望している方は少なくないです。
私もできれば最後は静かに納得した形で人生を終えたいです。
一方で、死はいつ訪れるかわからないものだと体験しました。
今日がすべてと思えるようになったことは幸せですし、死をむやみに恐れないようにもなりました。