全補欠は大谷翔平に救われる
今、僕は大谷翔平に夢中だ。
毎日彼の動画を見ながら眠りについている。グンナイ、ショーヘイ。
なぜここまで固執してしまうのか、自分でもびっくりしている。僕は高校生まで野球をしていたけどプロ野球はあまり観ないし、メジャーで活躍している選手を毎日チェックするほどではなかった。
単に彼の活躍が異次元なだけかもしれないが、もう少し深掘りしてみる。
僕は中学、高校と野球部に所属し中学、高校と補欠だった。思春期の全てを野球部の補欠という立ち位置で過ごしたのだ。どんなに教室でカッコつけても、野球部の補欠としての僕がそこにいた。
この事実が大人になる過程で何かしらの影響を及ぼしていると思う。
確かにレギュラーにはなれなかったが自分のプレーに絶望はしていなかった。なんなら上手いと思っていた。だから中学最後の大会のメンバー発表でレギュラーになれなかったとき、初めてチームメイトの前で泣いた。あの日、僕を慰めてくれた友達の言動を思い出すと今でも泣きそうになる。
高校生にもなると自分がレギュラーになれるかどうか察しがつく。監督目線で分析すると僕はチームの主力ではないとわかる。もはや何のために部活しているのかわからなくなる。練習のために野球をしていた。
補欠の流儀
補欠は、一歩引いてチームの和を意識するようになる。同じポジションのレギュラーとの関係性、チーム全体の雰囲気、それらを悪化させないよう働く。補欠とは謙虚な生き物なのだ。
ここでふと気づく。僕が大谷翔平を見守る理由の一つは彼の謙虚さにある。
人間離れした活躍をする彼は驚くほど謙虚でもある。その謙虚な振る舞いに心癒やされ、補欠だった過去の僕が成仏されていった。野球部の全補欠はきっと大谷翔平の活躍を気持ちよく見ていると思う。
オラオラしたレギュラーには補欠の気持ちなどわかるまい。そんな想いを抱えつつ僕たち補欠は大人になった。
あのときフタをしたはずの劣等感は大谷翔平によってそっと開けられた。
全補欠球児の心を癒やす最強のヒーラーが現れたのだ。じょうぶつ、じょうぶつである。
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